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「私たちのまわりには、ますます広がって行くポルノグラフィーという疫病が万延しています。ポルノのプロジューサーや供給者は莫大な利益もたらす
わたしたちの周囲には、ポルノグラフィーという疫病がますますひろがっています。ポルノグラフィーの制作者や販売業者は、たえまなくこの山を掘りつづけ、何百万ドルもの利益をあげています。彼らの製品の中には、巧妙に人を欺いているものがあります。情欲をくすぐり、刺激することを意図しているのです。多くの人がこの禁断の実を食べてその後結婚生活に破綻を来たし、自尊心を失い、伴侶の心を引き裂きました。そして、自分が歩いてきた罠を仕がけられたジャングルの道は、ポルノ雑誌を見たり読んだりしたときに始まったことを思い知らされているのです。酒やタバコを全く口にしない人の中にも、ポルノグラフィーを見ることを正当化している人がいます。そのような人は、物の価値を、神の神権に聖任された人のまったく似つかわしくないものにゆがめてしまっているのです。性的倒錯行為や暴行、獣姦などを描いたものが、それらの誘惑に屈した人々の手に入りやすくなっています。そうなるにつれて、宗教活動はしだいに魅力のないものになるようです。なぜなら、このふたつは水と油以上に、決して混じり合うことはないからです。」(「欺かれてはならない」『リアホナ』、1984年1月号、84)
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私の母が亡くなってから60年近く経ちました。当時わたしは大学生でした。母が亡くなった当時、わたしが何を勉強していたかは覚えていませんが、わたしの母の人生の最後の数か月の思い出は、わたしが幼かった頃の思い出と同じように、鮮やかに覚えています。わたしが母を愛していたことを母が知っていてくれればよいと思っています。母を愛しているということを頻繁に口に出したことはありませんでした。ほとんどの男の子がそうであるように、言葉で言い表すのは簡単なことではありませんでした。

人生で収穫の季節の初めに母は逝ってしまいました。末の子がまだ10歳で手の離れるようになったばかりの時で、母にとっては何年も味わったことのなかった自分の自由を持てるようになった時期でした。恐怖に駆られるような痛みを感じたのは、母がヨーロッパを旅行している時でした。そのときからわずか6ヶ月で母は逝ってしまいました。

母の葬儀のあったどんよりした11月の日を覚えています。勇気を振り絞って涙と戦ったのを覚えています。でも心の中で受けた傷は、深く苦痛が満ちていました。その経験は、わたしの人生の敏感な季節で、母親を亡くしたすべての人たちの心の痛みに対するより深い理解を与えてくれたと思います。
それから間もなくわたしは伝道に召されました。それは大恐慌の真っ只中でした。当時、世界中に蔓延する不景気のため、宣教師に召される人はほとんどありませんでした。わたしはいくらかのお金を貯めていて、わたしの兄が働いて寛大なばかりのお金を寄付してくれ、父が大部分を負担してくれました。しかしそれ以外のあることがすべてを可能にしてくれたのでした。それは母の先見の明で、買い物した時の小銭を貯金しておいてくれたことを発見したことでした。このお金は、当時世界中で一番経費のかかる伝道部でのわたしの伝道費用に必要な残金に当てられました。
わたしにとって、そのお金は神聖なお金でした。わたしはそのお金がわたしのためではなく、主のために聖別されたお金だと感じました。出費には十分気をつけてまかなってたものと望んでいます。

伝道中、どんな宣教師でも経験するように、落胆することも何度かありました。一度か二度は、雲が晴れずに暗闇にいると思われた時、言葉で言い表せませんが、わたしは母の加護と導きと励ましの影響力を実際に感じたことがあります。母が間近にいてくれるようでした。ですから、わたしはその時くじけずにかんばったように、母の名前に名誉をもたらすよう、自分の人生を送り、義務を果たすように試みました。必ずしも常にそのようにできたわけではない事実を自ら認めますが、母の期待に添わないことはわたしにとって苦痛であると同時に、この母の支えがなければ成し遂げられなかった克己心を持つことができました。
(小冊子「母の驚くべき力」(”The Wondrous Power of a Mother“)デゼレト・ブック出版社, 1989年発行, pp. 1-2.)

「ポルノグラフィーの真の姿を認識してください-ポルノは低俗で下卑の悪徳に満ちたものであり、惨めさへしか通じないものに身をまかせること、魂の下落、そして後悔なのです。この教会は主イエス・キリストの御名を身に受けた皆さん方に、徳の光の中を歩み、力や自由、そうすることから得られる高揚が得られるように求めています。」
(「この教会が求めていることを実行した人へ」、BYU 1995年-96年講話集、1996年10月17日、p. 53.)
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「産児制限については…多くが語られています。私は肯定的な面について、命の価値と尊さ、永遠の旅路の中での今の状態の目的、父なる神の偉大な計画のもとで地上での生活を経験する必要性、子供がいる家庭にのみ得られる喜び、良い子孫から得られる祝福などを考えたいと思います。このような価値を考え、それが教えられて守られているのを見るとき、何人という数の問題は 当の男女と主にお任せするにやぶさかではありません。」
(「私があなただったら...」、BYU 1983年-84年 Fireside and Devotional Speeches, 1983年9月20日、p.11.)
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イエスがキリストであり、神の御子であること、御父の長子であり、肉における独り子であること、またイエスがその命をわたしたち一人一人にくださったことについての確信が、人々の心の底に達して、感動を与えその心を変えるまで、わたしたちは人の救うための成功をおさめたとはいえないと思います。永遠と永遠にわたる祝福に関して贖罪の重要さを完全に理解することはできなくとも、少なくともそれを察し、感謝することは可能です。年を取り、齢を重ねるに従って、すべてを言い尽くし成し終えたときに、この確信を心の底に持っていることがすべての鍵であるということをさらにはっきりと感じます。それは、永遠の救いの計画の心です。死んでもなお存在し続け、それらすべてが永遠の一部であり、永遠の命への鍵は、救い主によってもたらされた贖いです。
(1995年8月29日、英国バーミンガム宣教師大会にて)

テレビの前に座ってアイゼンハワー大将の葬儀を見ている間、ガラリアの偉大な人物、イエス・キリストの奇跡に思いをはせました。その生涯と教えは、イエスがこの地上を歩いておられる時代と同じように、わたしたちの時代に於いても重要性を増してきたと宣言したいと思います。このようなキリストに対する思いを別の機会に述べることがありました。それはぼさぼさの髪の毛の若い学者がわたしにこう尋ねたときでした。「いったいどんな関わりがあるのですか。イエスはわたしたちにとってどんな重要性があるというのですか?イエスが地上に生きていたときにエルサレムを占拠していたローマ軍が今のわたしたちにとって何の関連性もないように、イエスは時代遅れではありませんか。」

「関連性?」とわたしは尋ね返しました。「愛する自分の子供が墓に埋められるのを涙を流して見ていたわたしの友達に尋ねなさい。事故で夫を亡くしたわたしの隣人に尋ねなさい。蒸し暑いベトナムのジャングルで死んでいった何千人という善良な青年の 父親や母親に尋ねなさい。復活された主イエス・キリストだけが、これらの人々の慰めです。冷たく赤裸々な死の事実よりも、永遠の生命を保証することほどの重要な関連性がどこにありますか。…これこそが復活された主の約束です。すべての人が死すべき世の中にあってイエスの関連性とは、わたしたちに復活をもたらされたことなのです。しかし、死以上にさらに深く直接わたしたちに重要な関連性があります。イエスが死を克服された方であるように、イエスは命の主でもあります。イエスの道は、わたしたちが住んでいる世の中の困苦に対する答えなのです。」(”The Wonder of Jesus,” インプルーブメント1969年6月, p. 74.)

モルモン書が最初に出版されて以来1世紀半経った今日は、そのモルモン書の歴史の中ではどの時代に比べてもこの書物がさらに広く読まれている時代です。…この書物が人の心に訴えかけるのは、真理がそうであるように時代の分け隔てがなく、人類にとって普遍的なものです。この書物はそれが真実かどうかを知るために、聖なる神の力によってそれが明らかになると読者に約束されている唯一の書物です。その起源は奇跡であり、その書物について良く知らない人がその起源についての話を耳にする時、それはあまりにも信じがたいものです。しかしこの書物は、誰もが手にとってそれに触れ、読むことができる書物です。誰もその存在を否定することはできません。ジョセフ・スミスによって与えられたこの書物の起源以外、モルモン書の由来を知るためのあらゆる努力は、実体に欠けることが示されてきました。モルモン書は古代アメリカにおける記録です。またそれは聖書が旧世界でそうであったように、モルモン書は新世界における聖典です。聖書とモルモン書は相互にその存在を証しています。それぞれが人にその真実性を確信させ、キリストに改宗するための神の霊感と力を備えています。これら二つの書物は、手に手を取り合って、イエスがキリストであり、イエスが復活され、イエスは生ける神の生ける御子であることを証する書物となりました。
(”‘An Angel from on High, the Long, Long Silence Broke,’” エンサイン1979年11月号, pp. 7-8.)

過去150年間、ずっと明らかに示されてきたことは、文学的な分析や科学的研究がモルモン書の真実性について人に安心を与え、最も歓迎される証拠を打ち出したとしても、モルモン書が真実であることは、それらによって決定されるのではないという事実です。過去においてそうであったように、現在にも未来においても、敬虔で尊重の気持ちと祈りを通してモルモン書を読むことによって、この書物が真実であることが決定されるのです。
(”‘Praise to the Man,’” BYU Devotional Speeches of the Year、1979年11月4日、 p. 205).

卓越
「皆さん一人一人に申し上げたいことは、わたしたちは一人残らず今よりも向上できるということです。私たちは絶えず卓越することを求めています。この卓越の追求はとどまることなく、終りもないのです。そして全身全霊を傾けて行い、不屈の精神をもって行わなければなりません。….
この競争の激しい世の中にあって、現状にとどまることはできません。絶えず向上していなければならないのです。苦渋の思いをし、率直で、時には厳しい話し合いを行わなければなりません。卓越を求めるには並ならぬ努力が必要です。」
(「卓越の追求」、ボンネビル・インターナショナル社幹部役員、1989年2月6日)
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「恐れを感じたことのない宣教師がいるでしょうか。私は知りません。もちろん誰でもときどきは恐れを感じるものです。戸別訪問を恐れる人もいます。自分の能力に不安を持っている人もいます。犬をこわがる人もいますし、正々堂々と真理を述べることを恐れる人もいます。私たちはみな時には、
恐れを経験するものです。しかし私たちに恐れることを教えたのは神ではありません。恐れはサタンから来るものです。それを認識していれば、サタンに退けと言い、勇気をもって前進できるのです。
神は私たちに力と愛、そして健全な知性を与えてくださいました。それはどういうことなのでしょうか。私はこう思います:つまり私たちに与えられている召しの力、神権の力、メッセージの力;主の御言葉への愛、私たちが仕える御方への愛、私たちが教える人々への愛;そして健全な知性-これが福音の純真ですばらしい美しさなのです。」
(宣教師訓練衛生放送より、1993年5月11日)
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