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Archive for 2月, 2008

わたしの声が聞こえる人々の中で、もし恨みを抱き、心の中に互いに憎しみを築き上げた人がいるならば、そのような思いをなくす努力をするようお願いしたいと思います。憎しみはいつでも人を弱め、苦々しい思いは必ず人を破壊しますが、「愛はいつまでも絶えることがない」(第一コリント13:8)のです。 (「愛はいつまでも絶えることがない」”‘Charity Never Faileth,’” エンサイン, 1981年11月号, p. 98.)

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全知全能の神からわたしたちにもたらされた光と真理の偉大な祝福は、わたしたちだけのものにするのは惜しいことです。わたしたちの務めは、この世で学ぶ世俗の真理だけでなく、…さらにイエス・キリストの福音の偉大なよき音ずれを世界にもたらすという重要な責任です。わたしたちのメッセージは、まことに希望と神との調和のメッセージです。それは全人類にとって希望の言葉であり、人類が仰ぎ見、魂を高揚させる彼らの造り主に対して、人類がみな兄弟姉妹であることを悟らせる過程における永遠の真理の旗じるしです。 (”A Unique and Wonderful University,” BYU 1988-89 Devotional and Fireside Speeches, 1988年10月11日, p. 51.)

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教会が組織されてからの177年を振り返ってみると、これまですでに起こったことに驚嘆を覚えます。1830年に教会が組織されたときには、会員はわずか6人、少数の信者で、全員の殆どは名もない村に住んでいました。今日、私たちは北アメリカで4番目か5番目に大きな教会になり、ある程度の大きさの町にはどこへ行っても教会員のグループがあります。シオンのステークは現在、米国、カナダ、メキシコ内のすべての州に、そして中央アメリカや南アメリカのすべての国に存在しています。 長年にわたって多くの人が教会に加わってきたイギリス諸島やヨーロッパ全土で集会が開かれています。また教会はバルチック沿岸の国々、ブルガリアやアルバニア、その近辺の国々にまで到達しています。ロシアにも、蒙古、そしてアジアの国々からオーストラリアやニュージーランドを含む太平洋の島々、さらにはインドやインドネシアまで進出しています。アフリカの国々でも成長を見せています。 年二回の総大会は衛生中継やその他の方法で92ヶ国語で放送されています。 そしてこれはほんの始りにすぎません。この業はこれからも成長を続けて発展し、世界中に広まって行くのです。 出典: The Stone Cut Out of the Mountain Categories: ゴードン・ヒンクレー、ゴードン・ヒンクレーの言葉 | No Comments

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ポール・マクナブ兄弟が日本で伝道をしていた時、当時十二使徒だったゴードン・B・ヒンクレー長老が宣教師大会に出席されました。マクナブ兄弟はそのとき受けたヒンクレー長老の思いやりをこう思い出しています。: ゴードン・B・ヒンクレー長老にお目にかかったのは、私が日本で伝道していた1970年代中期のことです。宣教師特別大会でお話になった後、ヒンクレー長老は米国に帰還されたら宣教師の両親にクリスマスのお祝いを兼ねて、簡単なメッセージを伝えるために電話をかけることを申し出られました。(当時は、宣教師が伝道中に家族や友人に電話をかけるということは全くありませんでした。)大会後、ヒンクレー長老のもとへ行き、私の両親は教会員ではなく、教会のことは好んでいないことを告げ、両親の名前と電話番号と電話代の一部を差し出しました。その時、ヒンクレー長老は私にとても親切にしてくださいました。 数週間後、ヒンクレー長老から一通の手紙が届き、両親と快い会話をしたことと彼らが元気でいることが知らされました。その手紙にはわたしが差し出した電話代が同封されており、そのお金は伝道に使うようにと書かれていました。使徒としての多忙を極めたこの旅程の一つから、ヒンクレー長老は何百人という人々に思いやりを示し、彼らの助けになるようにとわざわざ個人的な電話をかけてくださった上、さらには個人的に書かれた手紙の数はいったい何通に及んだのか想像だにつきません。やがて私の両親が、息子に日本で出会ったという「ヒンクレー長老」という方から親切な電話をいただいたと手紙で知らせてきました。 預言者や使徒との経験を通して、私は彼らがこの地上で最も思いやりのある親切で謙遜な、しかも勤勉な人々であることを知っています。 ゴードン・B・ヒンクレー長老は、偉大で善良な方であり、キリストのことを精力的に証し、福音のみ業に忠実な人物です。ヒンクレー長老は、確かにキリストを知っておられ、その証の光がほんとうに体から輝き出ていたのを私は知っています。 資料:ポール・マクナブ、「ゴードン・B・ヒンクレー長老との経験」(“An Experience with Gordon B. Hinckley”)

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「私たちのまわりには、ますます広がって行くポルノグラフィーという疫病が万延しています。ポルノのプロジューサーや供給者は莫大な利益もたらす わたしたちの周囲には、ポルノグラフィーという疫病がますますひろがっています。ポルノグラフィーの制作者や販売業者は、たえまなくこの山を掘りつづけ、何百万ドルもの利益をあげています。彼らの製品の中には、巧妙に人を欺いているものがあります。情欲をくすぐり、刺激することを意図しているのです。多くの人がこの禁断の実を食べてその後結婚生活に破綻を来たし、自尊心を失い、伴侶の心を引き裂きました。そして、自分が歩いてきた罠を仕がけられたジャングルの道は、ポルノ雑誌を見たり読んだりしたときに始まったことを思い知らされているのです。酒やタバコを全く口にしない人の中にも、ポルノグラフィーを見ることを正当化している人がいます。そのような人は、物の価値を、神の神権に聖任された人のまったく似つかわしくないものにゆがめてしまっているのです。性的倒錯行為や暴行、獣姦などを描いたものが、それらの誘惑に屈した人々の手に入りやすくなっています。そうなるにつれて、宗教活動はしだいに魅力のないものになるようです。なぜなら、このふたつは水と油以上に、決して混じり合うことはないからです。」(「欺かれてはならない」『リアホナ』、1984年1月号、84) Categories: ゴードン・ヒンクレー | No Comments

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私の母が亡くなってから60年近く経ちました。当時わたしは大学生でした。母が亡くなった当時、わたしが何を勉強していたかは覚えていませんが、わたしの母の人生の最後の数か月の思い出は、わたしが幼かった頃の思い出と同じように、鮮やかに覚えています。わたしが母を愛していたことを母が知っていてくれればよいと思っています。母を愛しているということを頻繁に口に出したことはありませんでした。ほとんどの男の子がそうであるように、言葉で言い表すのは簡単なことではありませんでした。 人生で収穫の季節の初めに母は逝ってしまいました。末の子がまだ10歳で手の離れるようになったばかりの時で、母にとっては何年も味わったことのなかった自分の自由を持てるようになった時期でした。恐怖に駆られるような痛みを感じたのは、母がヨーロッパを旅行している時でした。そのときからわずか6ヶ月で母は逝ってしまいました。 母の葬儀のあったどんよりした11月の日を覚えています。勇気を振り絞って涙と戦ったのを覚えています。でも心の中で受けた傷は、深く苦痛が満ちていました。その経験は、わたしの人生の敏感な季節で、母親を亡くしたすべての人たちの心の痛みに対するより深い理解を与えてくれたと思います。 それから間もなくわたしは伝道に召されました。それは大恐慌の真っ只中でした。当時、世界中に蔓延する不景気のため、宣教師に召される人はほとんどありませんでした。わたしはいくらかのお金を貯めていて、わたしの兄が働いて寛大なばかりのお金を寄付してくれ、父が大部分を負担してくれました。しかしそれ以外のあることがすべてを可能にしてくれたのでした。それは母の先見の明で、買い物した時の小銭を貯金しておいてくれたことを発見したことでした。このお金は、当時世界中で一番経費のかかる伝道部でのわたしの伝道費用に必要な残金に当てられました。 わたしにとって、そのお金は神聖なお金でした。わたしはそのお金がわたしのためではなく、主のために聖別されたお金だと感じました。出費には十分気をつけてまかなってたものと望んでいます。 伝道中、どんな宣教師でも経験するように、落胆することも何度かありました。一度か二度は、雲が晴れずに暗闇にいると思われた時、言葉で言い表せませんが、わたしは母の加護と導きと励ましの影響力を実際に感じたことがあります。母が間近にいてくれるようでした。ですから、わたしはその時くじけずにかんばったように、母の名前に名誉をもたらすよう、自分の人生を送り、義務を果たすように試みました。必ずしも常にそのようにできたわけではない事実を自ら認めますが、母の期待に添わないことはわたしにとって苦痛であると同時に、この母の支えがなければ成し遂げられなかった克己心を持つことができました。 (小冊子「母の驚くべき力」(”The Wondrous Power of a Mother“)デゼレト・ブック出版社, 1989年発行, pp. 1-2.)

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「ポルノグラフィーの真の姿を認識してください-ポルノは低俗で下卑の悪徳に満ちたものであり、惨めさへしか通じないものに身をまかせること、魂の下落、そして後悔なのです。この教会は主イエス・キリストの御名を身に受けた皆さん方に、徳の光の中を歩み、力や自由、そうすることから得られる高揚が得られるように求めています。」 (「この教会が求めていることを実行した人へ」、BYU 1995年-96年講話集、1996年10月17日、p. 53.) Categories: ゴードン・ヒンクレー | No Comments Trackback URI | Comments RSS

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「産児制限については…多くが語られています。私は肯定的な面について、命の価値と尊さ、永遠の旅路の中での今の状態の目的、父なる神の偉大な計画のもとで地上での生活を経験する必要性、子供がいる家庭にのみ得られる喜び、良い子孫から得られる祝福などを考えたいと思います。このような価値を考え、それが教えられて守られているのを見るとき、何人という数の問題は 当の男女と主にお任せするにやぶさかではありません。」 (「私があなただったら...」、BYU 1983年-84年 Fireside and Devotional Speeches, 1983年9月20日、p.11.) Categories: ゴードン・ヒンクレー | No Comments

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イエスがキリストであり、神の御子であること、御父の長子であり、肉における独り子であること、またイエスがその命をわたしたち一人一人にくださったことについての確信が、人々の心の底に達して、感動を与えその心を変えるまで、わたしたちは人の救うための成功をおさめたとはいえないと思います。永遠と永遠にわたる祝福に関して贖罪の重要さを完全に理解することはできなくとも、少なくともそれを察し、感謝することは可能です。年を取り、齢を重ねるに従って、すべてを言い尽くし成し終えたときに、この確信を心の底に持っていることがすべての鍵であるということをさらにはっきりと感じます。それは、永遠の救いの計画の心です。死んでもなお存在し続け、それらすべてが永遠の一部であり、永遠の命への鍵は、救い主によってもたらされた贖いです。 (1995年8月29日、英国バーミンガム宣教師大会にて)

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テレビの前に座ってアイゼンハワー大将の葬儀を見ている間、ガラリアの偉大な人物、イエス・キリストの奇跡に思いをはせました。その生涯と教えは、イエスがこの地上を歩いておられる時代と同じように、わたしたちの時代に於いても重要性を増してきたと宣言したいと思います。このようなキリストに対する思いを別の機会に述べることがありました。それはぼさぼさの髪の毛の若い学者がわたしにこう尋ねたときでした。「いったいどんな関わりがあるのですか。イエスはわたしたちにとってどんな重要性があるというのですか?イエスが地上に生きていたときにエルサレムを占拠していたローマ軍が今のわたしたちにとって何の関連性もないように、イエスは時代遅れではありませんか。」 「関連性?」とわたしは尋ね返しました。「愛する自分の子供が墓に埋められるのを涙を流して見ていたわたしの友達に尋ねなさい。事故で夫を亡くしたわたしの隣人に尋ねなさい。蒸し暑いベトナムのジャングルで死んでいった何千人という善良な青年の 父親や母親に尋ねなさい。復活された主イエス・キリストだけが、これらの人々の慰めです。冷たく赤裸々な死の事実よりも、永遠の生命を保証することほどの重要な関連性がどこにありますか。…これこそが復活された主の約束です。すべての人が死すべき世の中にあってイエスの関連性とは、わたしたちに復活をもたらされたことなのです。しかし、死以上にさらに深く直接わたしたちに重要な関連性があります。イエスが死を克服された方であるように、イエスは命の主でもあります。イエスの道は、わたしたちが住んでいる世の中の困苦に対する答えなのです。」(”The Wonder of Jesus,” インプルーブメント1969年6月, p. 74.)

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