この後者のイエスキリスト教会の聖人の日の公式サイトではない

Archive for the ‘ゴードン・ヒンクレーの教え’ Category

わたしの声が聞こえる人々の中で、もし恨みを抱き、心の中に互いに憎しみを築き上げた人がいるならば、そのような思いをなくす努力をするようお願いしたいと思います。憎しみはいつでも人を弱め、苦々しい思いは必ず人を破壊しますが、「愛はいつまでも絶えることがない」(第一コリント13:8)のです。
(「愛はいつまでも絶えることがない」”‘Charity Never Faileth,’” エンサイン, 1981年11月号, p. 98.)

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全知全能の神からわたしたちにもたらされた光と真理の偉大な祝福は、わたしたちだけのものにするのは惜しいことです。わたしたちの務めは、この世で学ぶ世俗の真理だけでなく、…さらにイエス・キリストの福音の偉大なよき音ずれを世界にもたらすという重要な責任です。わたしたちのメッセージは、まことに希望と神との調和のメッセージです。それは全人類にとって希望の言葉であり、人類が仰ぎ見、魂を高揚させる彼らの造り主に対して、人類がみな兄弟姉妹であることを悟らせる過程における永遠の真理の旗じるしです。
(”A Unique and Wonderful University,” BYU 1988-89 Devotional and Fireside Speeches, 1988年10月11日, p. 51.)

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「私たちのまわりには、ますます広がって行くポルノグラフィーという疫病が万延しています。ポルノのプロジューサーや供給者は莫大な利益もたらす
わたしたちの周囲には、ポルノグラフィーという疫病がますますひろがっています。ポルノグラフィーの制作者や販売業者は、たえまなくこの山を掘りつづけ、何百万ドルもの利益をあげています。彼らの製品の中には、巧妙に人を欺いているものがあります。情欲をくすぐり、刺激することを意図しているのです。多くの人がこの禁断の実を食べてその後結婚生活に破綻を来たし、自尊心を失い、伴侶の心を引き裂きました。そして、自分が歩いてきた罠を仕がけられたジャングルの道は、ポルノ雑誌を見たり読んだりしたときに始まったことを思い知らされているのです。酒やタバコを全く口にしない人の中にも、ポルノグラフィーを見ることを正当化している人がいます。そのような人は、物の価値を、神の神権に聖任された人のまったく似つかわしくないものにゆがめてしまっているのです。性的倒錯行為や暴行、獣姦などを描いたものが、それらの誘惑に屈した人々の手に入りやすくなっています。そうなるにつれて、宗教活動はしだいに魅力のないものになるようです。なぜなら、このふたつは水と油以上に、決して混じり合うことはないからです。」(「欺かれてはならない」『リアホナ』、1984年1月号、84)
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「ポルノグラフィーの真の姿を認識してください-ポルノは低俗で下卑の悪徳に満ちたものであり、惨めさへしか通じないものに身をまかせること、魂の下落、そして後悔なのです。この教会は主イエス・キリストの御名を身に受けた皆さん方に、徳の光の中を歩み、力や自由、そうすることから得られる高揚が得られるように求めています。」
(「この教会が求めていることを実行した人へ」、BYU 1995年-96年講話集、1996年10月17日、p. 53.)
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「産児制限については…多くが語られています。私は肯定的な面について、命の価値と尊さ、永遠の旅路の中での今の状態の目的、父なる神の偉大な計画のもとで地上での生活を経験する必要性、子供がいる家庭にのみ得られる喜び、良い子孫から得られる祝福などを考えたいと思います。このような価値を考え、それが教えられて守られているのを見るとき、何人という数の問題は 当の男女と主にお任せするにやぶさかではありません。」
(「私があなただったら...」、BYU 1983年-84年 Fireside and Devotional Speeches, 1983年9月20日、p.11.)
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イエスがキリストであり、神の御子であること、御父の長子であり、肉における独り子であること、またイエスがその命をわたしたち一人一人にくださったことについての確信が、人々の心の底に達して、感動を与えその心を変えるまで、わたしたちは人の救うための成功をおさめたとはいえないと思います。永遠と永遠にわたる祝福に関して贖罪の重要さを完全に理解することはできなくとも、少なくともそれを察し、感謝することは可能です。年を取り、齢を重ねるに従って、すべてを言い尽くし成し終えたときに、この確信を心の底に持っていることがすべての鍵であるということをさらにはっきりと感じます。それは、永遠の救いの計画の心です。死んでもなお存在し続け、それらすべてが永遠の一部であり、永遠の命への鍵は、救い主によってもたらされた贖いです。
(1995年8月29日、英国バーミンガム宣教師大会にて)

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テレビの前に座ってアイゼンハワー大将の葬儀を見ている間、ガラリアの偉大な人物、イエス・キリストの奇跡に思いをはせました。その生涯と教えは、イエスがこの地上を歩いておられる時代と同じように、わたしたちの時代に於いても重要性を増してきたと宣言したいと思います。このようなキリストに対する思いを別の機会に述べることがありました。それはぼさぼさの髪の毛の若い学者がわたしにこう尋ねたときでした。「いったいどんな関わりがあるのですか。イエスはわたしたちにとってどんな重要性があるというのですか?イエスが地上に生きていたときにエルサレムを占拠していたローマ軍が今のわたしたちにとって何の関連性もないように、イエスは時代遅れではありませんか。」
「関連性?」とわたしは尋ね返しました。「愛する自分の子供が墓に埋められるのを涙を流して見ていたわたしの友達に尋ねなさい。事故で夫を亡くしたわたしの隣人に尋ねなさい。蒸し暑いベトナムのジャングルで死んでいった何千人という善良な青年の 父親や母親に尋ねなさい。復活された主イエス・キリストだけが、これらの人々の慰めです。冷たく赤裸々な死の事実よりも、永遠の生命を保証することほどの重要な関連性がどこにありますか。…これこそが復活された主の約束です。すべての人が死すべき世の中にあってイエスの関連性とは、わたしたちに復活をもたらされたことなのです。しかし、死以上にさらに深く直接わたしたちに重要な関連性があります。イエスが死を克服された方であるように、イエスは命の主でもあります。イエスの道は、わたしたちが住んでいる世の中の困苦に対する答えなのです。」(”The Wonder of Jesus,” インプルーブメント1969年6月, p. 74.)

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卓越
「皆さん一人一人に申し上げたいことは、わたしたちは一人残らず今よりも向上できるということです。私たちは絶えず卓越することを求めています。この卓越の追求はとどまることなく、終りもないのです。そして全身全霊を傾けて行い、不屈の精神をもって行わなければなりません。….
この競争の激しい世の中にあって、現状にとどまることはできません。絶えず向上していなければならないのです。苦渋の思いをし、率直で、時には厳しい話し合いを行わなければなりません。卓越を求めるには並ならぬ努力が必要です。」
(「卓越の追求」、ボンネビル・インターナショナル社幹部役員、1989年2月6日)
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私の伝道部で伝道していた二人の若者のことを忘れたことはありません。一人はスーパースターでした。教養もあり、聡明で、頭の回転が速く、少々尊大なところもありました。もう一人は看板書きでした。看板屋で働いていて、教育のレベルもあまり高くはありませんでした。自分が能力不足であることを認識していて、すべてを主に頼っていました。彼が祈るときには、主と話しているのがわかりました。暗記した祈りではなく、主との会話でした。この若者は驚くべきことを成し遂げましたが、もう一人の行いはただうわべだけで魂が入っていませんでした。力を持っている一人と、力を持っていないもう一人との違いは、歴然としていました。主に頼ってください。主は皆さんを招いておられ、必ず答えをくださいます。」
(ユタ州スミスフィールド/ローガン地区大会、神権指導者の部において、1996年4月20日)

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もし他の人に対する敵意の醸し出す毒気をその心に育む人がいるなら、その人を赦すための力を主に願い求めてください。この願いを表現することは、あなたの悔い改めの最も重要な実体になります。それは簡単なことではないかもしれません。すぐに手に入れられるものでもないかもしれません。しかし、もし真心から赦す心を求め、それを培っていくなら、それを得ることができます。たとえあなたが赦した人が、続けてあなたを追い続け脅しても、あなたは和解を有効にするために尽くしたことに納得するでしょう。あなたの心に、和解以外からは手に入れられない平安が訪れるでしょう。その平安は、神からの平安です。主はこのように言われました。
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」(マタイ6:14-15)
(“Be Thou an Example” [Salt Lake City: Deseret Book, 1981], pp. 50-51.)

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