「時々、この教会は聖書を信じる教会ではないと言われます。この教会は聖書を信じる教会です。旧世界の素晴らしい証であるこの偉大で優れた聖書は、当教会の標準聖典の一つです。私たちは聖書を使って教えます。聖書についての証を述べます。聖書を読みます。聖書は私達の証を強めてくれます。そして私たちは聖書に、第二の証人、新世界の証であるモルモン書を加えます。それは聖書にこのように書かれているからです:『ふたりか三人の証人の証言によって(すべてが)確定する。』」(2コリント13:1)」
(ゴードン・B・ヒンクレーの説教より「エンサイン」、2001年3月号、64)
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「礼節は、わたしたちの生活に味を加えるものだと思います。品位、良い礼儀、良いしつけなどをもたらす塩だと言えます。「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイ7:12)という黄金律を表わすものです。
礼節(英語のcivility)はcivilizationの語根で、礼儀正しさ、丁寧さ、他の人への配慮などの意味を含んでいます。今の社会では、その多くが失われています。上品さ、他の人への尊敬、求められる以上を行うこと、良きサマリア人として奉仕すること、自己中心の関心事を越えて他の人のために物事を行う人にならなければ、いくら高い教育を受け、この世で偉業を達成したとしても、それは価値がなくなってしまいます。以上の事柄を行うときに、わたしたちは満足感を見出します。ある意味では、「世間はジャングルのような無法地帯」だと言えます。礼節がない所にはジャングルが生じます。いくら教育があっても、科学やビジネス、専門職で業績をあげてもーわたしがお話した他の面が欠けているならば、最も尊いものが足りないことになってしまうのです。この地球上を共に旅する人々に対して、尊敬と思いやり、礼儀や感謝や成熟さをもって手をさし伸ばす信仰深い特質が不足していることになります。」
(ゴードン・B・ヒンクレー「Standing for Something, 10 Neglected Virtues That Will Heal Our Hearts And Homes」、pg 60-62.)
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「人種や文化に違いがあるのは明白です。また様々な宗教や信条にも差異があります。しかし、わたしが懸念するのは、それらの違いにあまりにもこだわり過ぎることです。そのために、わたしたちは明らかに、また恒久的に似ている点を覆い隠し、時には全く無視してしまいます。わたしたちには文化的教義的な違いはあっても、世の中に悪や問題があることに関しては一致していると思います。わたしたちには公的にも私生活においても、徳と道徳を推し進める努力をするときに、一つに結ばれていなければならないという大きな責任と機会があることを認識していると思います。わたしたちはみな、神の子としてすべての男女を尊び、礼儀正しく友好的な関係をもち、社会のもっとも基本的で、もっとも重要な単位として家族を保護する必要があることには、同感すると思います。
わたしたちの多くは心の中に、貧しい人を助け、苦しんでいる人を救い上げ、悩みや苦痛を感じているすべての人に慰めや希望や助けを与えたいという望みを持っています。社会の傷を癒し、この時代にはびこっている悲観を楽観と信仰に置き換える必要を感じています。互いに非難や批判をし合う必要はないのです。」
(ゴードン・B・ヒンクレー「Standing for Something, 10 Neglected Virtues That Will Heal Our Hearts And Homes」、pg 55.)
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「疑いが頭をもたげ、悲劇が襲うとき、夜のしじまの中に天空の北極星のように確実で心強い、信仰の静かな声が聞える。」 (ゴードン・B・ヒンクレー「Stand a Little Taller(もっと胸を張ろう)」、 Eagle Gate: 2001年、p. 239)
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「兄弟姉妹の皆さん、私は生涯を通して奇跡を見てきました。その中でも最高の奇跡は、回復されたイエス・キリストの福音を受け入れて、その教えを守って生活しようとする人に起こる変容だと思います。」
(カリフォルニア州バカビル/サンタローサ地区大会、1995年5月21日.)
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「私たちは政教分離を信じております。教会はいかなる政党も政治的候補者も支持いたしませんし、教会の建物や施設を政治的目的のために使用することも許可いたしません。私たちは道徳的な問題でない限り、教会は政治に関与すべきではないと信じています。道徳的な問題の場合には、はっきりと見解を発表いたします。しかし、通常の政治的な事柄については、教会としてこのような問題への関与を避けますが、同時に、個人、つまり市民としては参政権を行使するよう会員に強く促します。同様に、私たちは礼拝の自由、信仰の自由を認可することは国家の利益につながると信じます。当教会の公式宣言には、こう言明されています。「わたしたちは、自分の良心の命じるとおりに全能の神を礼拝する特権があると主張し、またすべての人に同じ特権を認める。彼らがどのように、どこで、何を礼拝しようと、わたしたちはそれを妨げない。」 (メディア昼食会および記者会見において、1996年5月18日、東京)
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わたしの声が聞こえる人々の中で、もし恨みを抱き、心の中に互いに憎しみを築き上げた人がいるならば、そのような思いをなくす努力をするようお願いしたいと思います。憎しみはいつでも人を弱め、苦々しい思いは必ず人を破壊しますが、「愛はいつまでも絶えることがない」(第一コリント13:8)のです。
(「愛はいつまでも絶えることがない」”‘Charity Never Faileth,’” エンサイン, 1981年11月号, p. 98.)
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全知全能の神からわたしたちにもたらされた光と真理の偉大な祝福は、わたしたちだけのものにするのは惜しいことです。わたしたちの務めは、この世で学ぶ世俗の真理だけでなく、…さらにイエス・キリストの福音の偉大なよき音ずれを世界にもたらすという重要な責任です。わたしたちのメッセージは、まことに希望と神との調和のメッセージです。それは全人類にとって希望の言葉であり、人類が仰ぎ見、魂を高揚させる彼らの造り主に対して、人類がみな兄弟姉妹であることを悟らせる過程における永遠の真理の旗じるしです。
(”A Unique and Wonderful University,” BYU 1988-89 Devotional and Fireside Speeches, 1988年10月11日, p. 51.)
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教会が組織されてからの177年を振り返ってみると、これまですでに起こったことに驚嘆を覚えます。1830年に教会が組織されたときには、会員はわずか6人、少数の信者で、全員の殆どは名もない村に住んでいました。今日、私たちは北アメリカで4番目か5番目に大きな教会になり、ある程度の大きさの町にはどこへ行っても教会員のグループがあります。シオンのステークは現在、米国、カナダ、メキシコ内のすべての州に、そして中央アメリカや南アメリカのすべての国に存在しています。
長年にわたって多くの人が教会に加わってきたイギリス諸島やヨーロッパ全土で集会が開かれています。また教会はバルチック沿岸の国々、ブルガリアやアルバニア、その近辺の国々にまで到達しています。ロシアにも、蒙古、そしてアジアの国々からオーストラリアやニュージーランドを含む太平洋の島々、さらにはインドやインドネシアまで進出しています。アフリカの国々でも成長を見せています。
年二回の総大会は衛生中継やその他の方法で92ヶ国語で放送されています。
そしてこれはほんの始りにすぎません。この業はこれからも成長を続けて発展し、世界中に広まって行くのです。
出典: The Stone Cut Out of the Mountain
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ポール・マクナブ兄弟が日本で伝道をしていた時、当時十二使徒だったゴードン・B・ヒンクレー長老が宣教師大会に出席されました。マクナブ兄弟はそのとき受けたヒンクレー長老の思いやりをこう思い出しています。:
ゴードン・B・ヒンクレー長老にお目にかかったのは、私が日本で伝道していた1970年代中期のことです。宣教師特別大会でお話になった後、ヒンクレー長老は米国に帰還されたら宣教師の両親にクリスマスのお祝いを兼ねて、簡単なメッセージを伝えるために電話をかけることを申し出られました。(当時は、宣教師が伝道中に家族や友人に電話をかけるということは全くありませんでした。)大会後、ヒンクレー長老のもとへ行き、私の両親は教会員ではなく、教会のことは好んでいないことを告げ、両親の名前と電話番号と電話代の一部を差し出しました。その時、ヒンクレー長老は私にとても親切にしてくださいました。
数週間後、ヒンクレー長老から一通の手紙が届き、両親と快い会話をしたことと彼らが元気でいることが知らされました。その手紙にはわたしが差し出した電話代が同封されており、そのお金は伝道に使うようにと書かれていました。使徒としての多忙を極めたこの旅程の一つから、ヒンクレー長老は何百人という人々に思いやりを示し、彼らの助けになるようにとわざわざ個人的な電話をかけてくださった上、さらには個人的に書かれた手紙の数はいったい何通に及んだのか想像だにつきません。やがて私の両親が、息子に日本で出会ったという「ヒンクレー長老」という方から親切な電話をいただいたと手紙で知らせてきました。
預言者や使徒との経験を通して、私は彼らがこの地上で最も思いやりのある親切で謙遜な、しかも勤勉な人々であることを知っています。
ゴードン・B・ヒンクレー長老は、偉大で善良な方であり、キリストのことを精力的に証し、福音のみ業に忠実な人物です。ヒンクレー長老は、確かにキリストを知っておられ、その証の光がほんとうに体から輝き出ていたのを私は知っています。
資料:ポール・マクナブ、「ゴードン・B・ヒンクレー長老との経験」(“An Experience with Gordon B. Hinckley”)
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